ゆるかわです。
ある日突然 食べられなくなるということ
親の介護では、親がだんだん老いていくのを見届けることになります。
頭ではわかっていてもツライことですね。
老いる速さは、人によって違いますが、
昔、介護職の研修では、
高齢者が老いる過程は3か月~半年といったスパンで…と習いました。
生まれた赤ちゃんは3か月⇒半年⇒1年とぐんぐん成長していきますね。
お年寄りはその逆で、3か月⇒半年⇒1年というスパンで老いが進んでいくということです。
よく、子供に返っていくと言いますね。
これを聞いたときは悲しく😢なりましたが…
生きている限り、当たり前のことなのです。
親の介護を始めてからは、
そんなことを念頭に置きながら、いつかそんな日が来るのは仕方がないと思っていましたが、
実際にそんな日が来るとほんとうに悲しいです😢
私の母の場合は、昨年6月に歩けなくなり
その2か月後に食べ物を飲み込まなくなりました。
歩くことも食べることもある日突然でした。
徐々にだったのでしょうけど、気づかなかった、いえ、気づきたくなかったのだと思います。
77歳の誕生日には
お寿司とケーキでお祝いするつもりでしたが、出来ませんでした。
人が最期を迎える過程で、食事を摂らなくなるというのは
ごくごく当たり前のこと。
食べることは人間の本能的欲求ですが、
人間は最期が近づくと栄養を摂らなくなっていきます。
死が近づくと、余分な栄養は受け付けなくなっていき、身体の中を整理していくそうです。
食べないから亡くなるのではなく、もう亡くなるから食べないのだと…
このことは、書籍やネット上の色々な読み物にわかりやすく書かれています。
そうは言っても、
母がある日突然食べられなくなってしまったことは、
簡単に受け入れられるものではなかったです。
今の医療では、口から摂れなくなると経管栄養をすすめられます。
突然のことで、じっくり考える余裕などなく…
母の場合も、そうせざるを得ない流れになりました。
母は本当はどうしたいだろうか?
認知症じゃなかったら母はなんて言っただろう?
そんなことが頭をよぎりました。
母の尊厳を大切にしたかったのに
経管栄養に承諾するしかなかった私を母は許してくれるだろうか?
母が亡くなってからも、ずっと思い続けています。
とあるサイトで、こんな文章を見つけました。
以下引用文
それは「突然」食べられなくなったのでは
なく、それまで一段ずつ階段を下りていた方が、
身体の大きなイベントによって数段転げ落ちて
しまったようなものです。
引用元:口から食べられなくなったら、どうしますか? | 医療法人社団 東山会 調布東山病院
突然、食べられなくなったように感じるのだけれど、
実はそうではないと書かれています。
人の最期は階段を下りていくようなもので、
だんだん食べなく(食べられなく)なり、
眠る時間も長くなり、やがて眠り続け、最後は楽に息を引き取ります。
でも途中で、肺炎になったり心臓が悪くなったりして、急に食べられなくなることもあります。
それは、階段を一段ずつ下りれず途中で転げ落ちてしまったようなものだそうです。
食べられなくなることが早まってしまったけれども
階段を下りていたことには変わりなくて、
早かれ遅かれいずれは最期を迎えることになったのだという内容でした。
食べられなかったのは、突然かのように見えたけれど、
突然ではなかったということらしい。。。
母の場合は、認知症の進行から食べられなくなりましたが、最期のときは母自身が決めたのかな?と
今は割り切るようにしています。
3年前、きのこご飯を炊いた日
「きのこご飯、食べる?」と聞くと、
「食べるー!」
と元気に答えた母はとてもかわいかったです。
あの日の母のこと、忘れられません。
最期までお読みいただきありがとうございました
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