ゆるかわです。
今日も訪問下さりありがとうございます。
危篤状態からの復活はあるのだろうか?
これには、ほんとう個人差がありますよね。
昨年、危篤状態になった母のことを書きました。
危篤とは、意識がなくなり、いつ亡くなってもおかしくない状態。
危篤ですと言われると、
そこから…早くて半日、或いは2~3日で最期を迎えることが多いようですが、
全員がそうとは限らず、
10日以上もつ人、数年以上生きる人もいるらしく、
個人差があります。
臨終が近づくと…
・下顎(かがく)呼吸→口をパクパクするような呼吸が見られたり
・肩で息するような感じがあったり
・喘鳴(ぜんめい)→喉の奥がゴロゴロするような音がしたり
こういったサインがみられるそうです。
母の危篤を告げられ、翌日面会に行きました。
母の血圧は50ほど、尿は全く出ていない状態。
ベット横にぶら下がっている尿パックはスッカラカンでした。 こういうの ↓↓
「耳はずっと聞こえているので話しかけてください」とナースに言われ、手を握って声をかけ続けました。
「おかあさん」
「○○子さん」
「おばあちゃん」
何度も何度も呼びかけました。
母の瞼は、ボンドでくっつけたようにピタ~っとくっついて、まさに深~い眠りについている感じです。
急なことで何を話していいのか?
正直わからなかったです。
私も父も子供も、おのおの思うことを伝えたと思います。
私は、今までの感謝の言葉と「ずっと一緒だからね」
と何度も言いました。
・・・・・
その2日後、母の全身は痙攣していました。
精一杯のことをしているが、痙攣を止めることは出来ないと言われ、今夜が山かもしれないと告げられました。
そんなこと受け入れたくない!と思って帰ってきました。
すると…その晩不思議な夢をみたんです。
リアルな夢 ↓
家の中を元気に歩く母、私は母を追いかけています。
あれ? 見失った母を探しに外へ出ると、母は家のそばの広い道路を走る大型トラックの後ろにつかまっていて、今にも落ちそうです。
「おかあさ~ん降りて~ 危ないから帰ってこなあかん!」と私は大きな声で叫びました。
そしたら、次の場面で母が帰ってきていました。
朝、目が覚めても病院から電話は入ってない。
もしかして、これは?
午後、面会に行くと、
母の尿は増え、血圧も上がってきたとのこと。
復活してくれた~~😊
この時はほんとうに嬉しくて、母のパワー✨を感じました。
毎回、面会で母の手を握って帰ってくると、暑くなって元気が出ました。これはホント。
面会が許可されて、私だけは毎日欠かさず、
母に会いに行っていました。
いつも眠っている母、薄目の母、色々な母を見ました。
こんなふうにいつも眠ってた ↓
日によっては呼びかけに反応がある日もありました。
2週間目には母のバイタルは復活し、酸素マスクが外れました。
同時期にリハビリも始まりました。
一度は諦めていたから、母の復活はほんとうに嬉しく、
家族で喜びました。
危篤状態になってから25日目の11月17日。
母は車椅子に座って退院することが出来ました。
入院からちょうど丸1か月目のこと。
帰る場所はロングショートだから、喜び半分+淋しさ半分
でしたけどね。
危篤状態からの復活はあるということを見せてくれた母へ
ほんとうにありがとう🌸
最後までお読みいただきありがとうございました(*^-^*)
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