ゆるかわです。
昨年12月、母は77歳で旅立ちました。
母、急変の知らせから病院に駆けつけ、葬儀までが目まぐるしく過ぎていきました。
親が亡くなってお骨になるなんて、想像できません。
したくありませんよね。
そんな、想像したくなかった時間は淡々と過ぎていきました。
最後のお別れ
葬儀の最後、棺の蓋を閉じるときは、やっぱり辛いです。
もう姿が見れなくなってしまうんですから…
家族みんなで、棺の蓋を閉じて、棺を運びました。
その後、火葬場で最後のお別れ。
最後に母の顔を見て合掌。
ずっとずっと母を見ていたいけど。
仕方がない、諦めるしかない。
↓
こんな心境です。
火葬炉に入っていく棺を見送りました(涙)
母のお骨を見て
棺を見送り、葬儀屋さんが待合席を案内してくれました。
「収骨まで、だいたい1時間半です。」と葬儀屋さん。
そろそろ1時間くらい経つかな?と思う頃、
「○○家の皆様、、、」と放送が入りました。
早かったです。正確には50分経っていなかったと記憶しています。
そういうことか!すぐに焼けてしまったんだな、と思いました。
今まで一番怖れていたこと、それは、お骨になった親の姿を見ること。
自分はどうなってしまうんだろう?
立っていられない状態になってしまうんじゃないか?
ショックでぶっ倒れてしまうのでは???
こんな自分を想像していたけど ↑↑↑
意外にも冷静でした。
想像どおり、母のお骨はとっても少なかったのです。
過去に私が見たお骨より、うんと少なくて、、、
母は骨粗鬆症だと言われていたけど、これほどまでに?
こんなにもろい骨で身体も相当痛かっただろうな。
お母さん、本当にお疲れさま。よく頑張ったね。
母を支えてくれたお骨さん、今までありがとうございました。
そんなことを思っているうち、涙も止まり、
私はお骨をガン見していました。
コロナ禍で火葬場の骨上げが変わった?
収骨室に入ると、火葬場のお骨担当の人が、お骨の説明をしながら順にお骨を拾い始めました。
当然、このあとには身内によるお骨拾いがあるでしょ?と思っていました。
故人に近い人から順に、2人1組で箸で挟んでお骨を拾うアレです。
しかし、声がかかりません!
え?私たちはやらないの?
身内で行うお骨拾いは省略されていました。
敢えて質問しなかったけど、コロナ禍?が頭をよぎりました。
新型コロナは私たちの風習までも変えるのですね。
最後のお骨のときだけ、私が呼ばれて、箸でお骨を拾い、骨壺に入れました。
本来なら、この役は父がやるのですが、
父は腰が痛くて立っているのもやっとの状態だったので、私がやったわけです。
火葬場のお骨担当と葬儀屋さん
母のお骨は大変少なく、骨壺に入れるべき骨がなかなか見つかりませんでした。
火葬場のお骨担当の人、最後は葬儀屋さんまで加わり、
必死に探してくれていました。
(この人たち、骨に詳し過ぎる!!骨に命かけてる)
そんなこと思いながら見ていました。
結構、長い時間かけて探してくれていて…
こんなに探してくださってありがとう、という気持ちになりました。
「もう十分です、もういいですよ。」
母が頑張ったことが、母の骨からも伝わってきました。
こんなに骨がもろくなっても母は必死に生き抜いたことが、わたしたちには十分に伝わったから。
収骨は、東日本と西日本ではやり方が違うそうで、
東日本だと全収骨(全部の遺骨を持ち帰る)
西日本は一部のみ収骨です。
我が家は西日本になるので、一部のお骨になります。
残った遺骨と遺灰は、私のところの地域では愛知県の某お寺に運ばれ供養してもらえるとのことです。
最後に
親の骨は見れない、と思っていましたが、今回、母のお骨をしっかり見届けることが出来ました。
母の全てを見届けたい!という気持ちでした。
葬儀のこと、収骨のこと、今まで知らなかったことは多くの気づきとなりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。