ゆるかわ日記

開き直って要介護の両親と暮らすアラフィフ主婦のブログです。 子育てをすでに終え現在は要介護の両親との時間をゆるやかに穏やかに楽しんでいます。

認知症の症状はどのように進行する?母の認知症診断から約2年経って振り返ってみる

こんにちはー ゆるかわです。

私の母が認知症と診断されてから約2年になります。

私は介護職の経験が5年あり多くの認知症のご利用者さんと接したことがあります。

でも、情けないことに私は母の初期症状を見抜くことが出来ませんでした。

 

約2年の間に母がどんな風に変わっていったのかを思い出して書いていきたいと思います。

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まさか母が認知症になるなんて

私の母はまだ70代です。

70代と言えばまだまだお元気な方が多く、働いたりボランティア活動や趣味や旅行とまだまだ楽しめる年代です。

母の様子が変だと気が付いたのは母が70代になったばかりの頃でした。

発症したのはもっと前になると思いますから正確にはいつからなのかはわかりません。

 

そもそも私は母が認知症になるなんて予想もしていませんでした。

どちらかというと認知症にはならないタイプだろう!と決めつけていました。

母は明るく社交的なタイプで、性格は娘の私から見てもあっけらかんとしたところがある人でした。

私や弟が子供の頃は、働きながらも子供の教育には熱心でPTA役員をいつもやっていました。

小学生の頃、宿題をやったかどうかのチェックが厳しく、出来ていないと消しゴムで消して何度も書き直しをさせられました。

でも家事もしっかりやるタイプの人で母が作る料理は美味しかったです。

 

私や弟が結婚してからは合計6人の孫が産まれる時には「私がお世話するから」と言ってどこまでも行く人でした。

友達が多くて出かけることも好きで、好奇心旺盛で何でもやる人でした。

 

若い頃はカラオケ教室に通ったりしていたようですが、私が結婚してからは母はいつも編み物をしていました。

編み物の作品は多く私も沢山編んでもらいましたからマフラーやネックウォーマーには今も不自由していません。

 

このような母の事ですから、私はどこかで安心しきっていました。

 

画像は母が70歳になったころに作ったものだと思います。

色々な形のアクリルたわしを作ったかと思えば、

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ペン立てカバーを作ってみたり、

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このような小物系を作るのも好きだったみたいです。

縫製の仕事の経験があり手先は大変器用な母は、ミシンを使って不要な洋服を何かにリメイクしたりもしていたようです。

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画像はタオルからキッチンクロスを作っていたのでしょうか?

綺麗なステッチがかかっていますが、未完成なのです。

同じようなものが何枚も見つかりました。

本当は作りたかっただろうに、作れなくなってしまった母。 

こういうものを見ては私は虚しい気持ちになっていました。 

 

認知症とも疑わなかった頃の母は

母は認知症診断を受けるまではお掃除のバイトをしていました。

バイトが無い日にはお友達と会ったり、地域のボランティアにも良く参加していたようです。

身体がきつそうに見えたこともあり、私は母に「もうバイトは辞めたら?」と何度も言いました。

しかし母は、「頑張って続ける」「辞めない」と言うのです。

そういう部分の元気はありました。

 

母はバイトの帰りにいつも同じドーナツ屋さんで同じドーナツを買ってきていました。

またか!と言いたくなるくらいに同じ店のドーナツです。

これは父やたまに泊まりに行っていた私の娘の証言からわかったことです。

そのほか洋服屋さんにも寄っていたようで、ただでさえ沢山ある服が日に日に、更に増えていったんです。

魚屋さんにも度々足を運んでいました。いりびたるレベルです。

実家の冷蔵庫にはいつも魚屋さんの手作りまぐろフレークが入っていました。

食べきれるはずがありません。

 

そして知り合いから紹介されたであろうアムウェイの女性から色々なもの買っていたようです。

その方がとても感じの良い方だったようで、母は「〇〇ちゃん」といつもその人の話ばかりするようになっていました。

 

その時は気付きませんでしたが、今振り返ってみると、自分に対してやさしくしてくれる人への執着、買い物への執着があったのだと思います。

 

認知症ではないか?疑った頃の母

母が認知症だなんて思ってもいなかった私は、実家には1~2か月に1回顔を出す程度でした。

フルタイムの仕事もしていましたし、車で1時間かかるためしょっちゅう実家に帰るという訳にはいきませんでした。

 

そして、このころの母は理屈っぽい性格になっており、人の話(私の話ですね)は聞かずに自分の話ばかりする、同じ話ばかりする、「私の〇〇がなくなった、あんた(私のこと)に渡したんじゃなかった?」とすぐに私を疑う、など私から見て嫌だな…と感じる面が多く、私は正直なところ、しばらく会いたくないなと思っていました。

今思えば、これらは認知症の初期の症状です。

認知症だ!と気付いた出来事

そんなある日の事、母に「私の携帯の番号を携帯に入れてね」と伝えたのですが、母はそれが理解できなかったのです。

住所だと思った?ようで、初めは母がふざけているのだと思いました。 

「ちょっと!ふざけないで!」と私は怒りました。

この時、初めて私はたぶん母は認知症だ!と気付いたのです。

父はもっと前から薄々気づいていたそうです。

父、私に伝えるのが遅い!そして気付けなくてごめんねと反省しました。

最近の母は?

認知症と診断されたばかりの頃と比べると、キーっと怒ったり泣いたりということはなくなり穏やかになってきました。

今まで自分が出来ていたことが出来なかったり、わからなくなってしまったり、そのことで周りから何か言われて癇癪を起したりということは認知症の初期にはよくあることで、家族もこの時期が大変だと思います。

しかし、穏やかになってそれはそれで家族や周りは楽かもしれませんが、これは認知症が進行してきたということでもあるため私にとっては虚しいことでもあります。

 

近頃の変化を挙げてみますと、

・孫の名前はわかるし認識できているが、「孫」が何なのかが理解できない

・スリッパのことを靴と言う

・たまにしか会わない孫の事はよその人だと思っている

・戸は開けるだけで閉めない

・認知症かな?と思い始めた頃は味噌汁は作れたが、認知症診断の後くらいから出来なくなった

・自分の持ち物に対しての執着が薄れてきた

・執着していた携帯電話にもほとんど興味が無くなる

・家の中の部屋の位置の認識低下している

・紙パンツを履かせても怒らなくなった

・お風呂に入るのを嫌がるようになった

などなど

 

認知症の母にしてあげたいことは? 

母からしてもらうばかりで私からは何も返せないままになってしまいました。

これから母にしてあげたいと思うことは、美味しいご飯をずっと一緒に食べること、

一緒に笑って楽しい時間を共有すること、大好きな我が家で母がずっと暮らせるように支援することです。

まとめ

少しずつ進むであろう認知症。

でも薬を飲むこと以外にも、環境を変えないことや家族と笑って過ごす時間が認知症の進行を緩やかにすると思っています。

母が出来ることはまだまだたくさんあると思うので出来る所を見ていこうと思っています。

 

最後までお読み下さりありがとうございました。  

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